夢を諦めるかどうかの私なりの決め方

夢

こんにちは。吹雪です。

皆さんは、夢を諦めるときってどういうときだと思いますか?
既に経験がある方は、どういうときでしたか?

主な要因として、外的要因と内的要因があると思います。

私は、ありがたいことに環境には恵まれているので、今まで外的要因で夢を諦めるかどうかを迫られたことはありません。

なので今回は、内的要因で夢を追いかけることに迷ったときの、自分なりの判断基準を書いてみようと思います。

夢が叶う兆候があるわけでも、叶わない未来が見えているわけでもない今だから書けることだと思うので。

因みに、「抗NMDA受容体脳炎 罹患からの流れ」のように病気になったことは外的要因になるのではないか?と思うかもしれませんが、私にとって諦めるかどうか悩む要因にはなりませんでした。

だって、病気になった後も、歌うために必要なものは、声も聴覚も身体も感覚も、どこも壊れてはいなかったから。

明日もし死んでも、夢を諦めたことを後悔しないかどうか

判断基準は割と簡単で、

「今、夢を諦めて、明日もし死んだら、今日夢を諦めたことを後悔するかしないか」

です。

今日夢を諦めても諦めなくても、明日の時点では、どのみち夢は叶っていません。

夢が叶わないのは大前提で、自分が人生を終えるときにどういう心持ちでありたいか。

その一点です。

夢を諦めなかった過去

何だか重たいこの基準は、歌手を目指そうと思った当初からのものでは勿論なくて、病気で突然死にかけてから思い至ったものです。

病気になる前

病気になる前は、まだ実際にオーディションなども受けたことがなかったため、そんなに夢を諦めようとか思ったことはなかったのですが、一回だけはっきり覚えているものがあります。

中学生のとき、当時一番の親友だと思っていた友達から

「歌手になんてなれるわけないだろ。現実見ろよ」

と言われたときです。

今思うと、相手も自分も中学生の時点で、お互い現実なんてちゃんと見えてるわけないんですけどね(笑)

けれど、当時はそう言われて相当悩みました。
相当って言っても結果的には1日足らずだったんですけど。

そのときは、自分がどうして歌手になりたいのかをずっと掘り下げていました。

親友に否定されても、歌手を目指したいのか?
どうして?

自分には才能がないのだとしても、歌手を目指したいのか?
どうして?

どれだけ努力しても報われなくても、歌手を目指したいのか?
どうして?

そうやって、ずっとずっと掘り下げていった先にあったのは、歌が好きだからとか、歌うことが生きがいだからとか、そういう理由ではなくて、ただ「歌手になりたい」という揺るぎない気持ちでした。

なりたい理由を心の中で探していたのに、そのなりたいという気持ちが根底にあるだなんて、自分でもおかしな話だなと思うのですが、何故かそういう感じだったんです。

だから、それに気づいた時に、諦めることを諦めました。

だって、なりたいものはなりたいんだもん。仕方ないじゃん。

病気になった後

病気で倒れたとき、初めてのオーディションと、ちょっとした歌を披露する機会を控えていました。

なので、もしあのまま意識を取り戻すことなく逝っていたら、私は夢を諦めないまま人生を終えたことになっていました。

リハビリを経て、こうして日常生活の中で夢に向かって努力をしていると、ふとした時に、明日また突然自分が終わる可能性がある、ということが頭をよぎるようになりました。

勿論、そうそうそんなことが起きたら堪ったものではないし、いきなり死亡とまではいかなくても、余命を宣告されて病室から出られなくなったりしたらその限りではないとは思うけれど。

やっぱり、その瞬間まで夢を追いかけていたい。

目指している以上、叶わなければ困るし悲しいのは大前提だけれど、夢を掲げて奮闘している日々は幸せだと思うから。
叶わなかったから、それを目指して努力していた時間と行為が無駄で不幸だったなんて、そんなことはないと思うから。

誰かと比べて悔しいと思ったり、自分の未熟さに嘆いたり、地団駄踏みながら足掻いたりするのは、夢を持つことができた人の特権だと思うから。

だから、私はその特権を全力で行使するし、環境がそれを許すのであれば、そうすべきだと思う。

何だか偉そうに聞こえてしまうけれど、最近、それが夢を持つことができた者の役目なんじゃないかと思うようになりました。

諦め時が客観的に見ても分からない

それはそれとして、諦め時があるということは理解しています。

Twitterでまわってきたnoteで、大体24歳ぐらいで人は現実を見る、みたいなことが書かれていました。それぐらいで、夢が叶うか叶わないか分かる、と。

24歳、私はそれぐらいの年で現在通っているボーカルスクールに入校したんですよね、ええ。
思わず苦笑いでした。

その方は、20歳で実際にプロになってお仕事をされていたそうです。
それでも、自分の限界を感じた。
そういう趣旨のお話だったと私は受け取りました。

それを夢を目指している人に当てはめると、自分には夢を叶えるような力はこれから先どんなに努力しても得られないということを痛感すること、だと思います。

ですが、実はこれが私にはとても難しいことなんです。

私の場合、それを痛感する場面というのは、自分より若かったりスクールの在籍年数が自分より少ない人が、私が受けて落ちたオーディションに軽々と受かっていくのを見たりするときなんですけど、そんな彼らと自分を同列にして比較できない絶対的なものがあるんです。

それは、高校卒業までの人生で培ってきた様々なものを、病気で一度失っているということ。

18歳で、3ヶ月以上寝たきりだったため、身体のあらゆる筋肉が尋常でないレベルで衰え、関節が固まって自力で動くことが殆どできない状態になりました。
喉には人工呼吸器の管を通すための穴が開けられて声を出すこともできず、そもそも自分で呼吸が出来ない状態になっていました。

一度そんな状態になってからリハビリをして社会復帰をして、再び夢を追いかけ始めた私は今、普通に生きていた場合の何歳の状態にまでなれているのか。

そんなこと、きっと誰にも分からない。

だから、どうやっても客観的に比較することが出来なくて、諦め時が一向に見つけられないんですよね。

終わりに

ぶっちゃけた話、このまま歌手になれず、言い方はアレかもしれませんが有象無象のまま終わる予感も結構しています。

それでも目指し続けるのは、ただ自分自身の手でその可能性を0にする度胸がないだけなのかもしれません(笑)

一度始めたら、それまでの犠牲を無駄にしたくなくて止められない、戦時中の日本みたいな感じかもしれないとも思う、今日この頃です。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。