人はいつだって幸せになるために最善の選択をしている

選択 雑記

こんにちは。吹雪です。

結構前にTwitterにボヤっと書いたある考え方を自分で忘れかけていたので、記事にして残しておこうと思います。

確か誰かが言ってたことだった気がするんですが、媒体も人も全然覚えてないので、そこは気にしないという体で書きます(笑)

その選択はその時の自分にとっての考え得る最善だった

今まで生きてきた中で、後悔している行動や選択はありますか?

一つもないって人は多分いないと思います。

あの時何でこんなことしてしまったんだろう。
あの時何でそれを選択してしまったんだろう。

時々不意に思い出しては悩んだり、その時の自分を責めたりしていませんか?

私も不意に思い出しては悩んだりするんですけど、そういう時は

それは、その時の自分が一番幸せになれると思ってしたことなんだ

と考えるようになりました。

後悔するということは成長したということ

過去の行動や選択を後悔しているということは、その時よりも自分が成長しているということだと私は思っています。

例えば、とあるお店であるものを買うか迷って、その時は買わないという選択をしたとします。

そして、次の機会にやっぱりそれを買おうと決めてお店に行ったら、もう売れてしまっていて買えなかった。

そういうことってありますよね。

その時の後悔というのは、「どうしてあの時に買っておかなかったんだろう」というものになると思いますが、そこでちょっと思い出してみてほしいんです。

その後悔している行動をどうしてその時の自分はしたのか、ということを。

人によって理由は様々だと思いますが、私の場合は

  • 欲しいとは思うが現時点で具体的な使い道が見つからない
  • 値段が高い
  • これ以上荷物が重くなったりかさばるのは避けたい


みたいな感じです。多分。

では次に、これらの理由で買わなかった自分は、その時に買っていた場合の自分とどう違うことになったかを考えてみます。

まず、使い道が見つからないという理由で買わなかった場合。
手に入ったのは嬉しいけど、そこにあるだけの存在になってしまって、最終的に払った値段相応の価値を自分が感じられない状態になることを避けることができます。

次に、値段が高いという理由で買わなかった場合。
上記と似ていますが、値段相当の価値を感じないために不愉快な気持ちになる、又は後々自分が金銭的な面で困るという自体を避けることができます。

最後に、かさばるからという理由で買わなかった場合。
これは単純に、そのお店から帰宅するまでの身体的負担の増加を防ぐことができます。

どれも皆、自分が買うという行為をするよりも、買わない方が自分がより良い状態になるという想定です。

つまり、買わないという選択をした時点では、その選択が自分にとって最善であると判断しているわけです。

では、なぜその選択を今後悔しているかというと、結果的には買っておいた方が良かったということが後になって判明したからですよね。

それを知ったこれからの自分は、もしまた同じような状況になった時、きっと前とは違った予測と行動が取れるはずです。

これは、とても小さなことだけれど、その選択をした時の自分より、学んで成長したということではないでしょうか。

過去の自分を責めるのではなく糧にして

誰にでもありそうなことを例にしてみたら、なにか逆に分かりにくくなってしまった気がしてます…(汗)

つまり何が言いたかったかというと、後悔している行動をしたその時の自分は、それが自分が一番幸せになるだろうと思ってしたことなので、それを責めるのは違うんじゃないかなってことです。

過去の自分がその選択をしたことで今の自分が苦しんでいたとしても、それは過去の自分が幸せになろうとした結果だから。

だから、その時の自分を責めるのではなく、その経験と変化をこれからの選択の糧にしていけばいいんじゃないかな、って思うのです。

この記事の元になった呟き

何だか記事にする前のTwitterの呟きの方が上手く文章にできていた気がするので、一応蛇足として載せておきます…。

終わりに

今までの記事とは違った感じの内容なので、読んでいる人に向かって話しかけるような文章にしてみたら、難しすぎて筆が全然進まなくて余裕で前回の更新から二か月経つという体たらくでした。。。

次はもうちょっと早く更新できるように頑張ります!


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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